◆沙石集に学べ!◆


『沙石集』 随機施主分ノ事
『沙石集(しゃせきしゅう)』は今から800年ほど前、鎌倉時代の仏教説話集だ。
こんな話が載っている。(以下はオレの現代風訳)

 大津の漁師たちは、ありがたい話を聞こうと何人もの説経師をたびたび招いていたが、
いつも満足することはできなかった。
しかし、ある説経師は漁師たちの気持ちを理解して、こういう話をした。
「あなたがたが琵琶湖の魚を捕られていることは、すばらしい功徳(くどく)です。
なぜなら、琵琶湖は比叡山のふもとにあり、いわば伝教大師の目にあたります。
仏の目にある「ちり」をとるのは立派な功徳となるでしょう。」
漁師たちは大喜びして、お布施を多く差し出した。
 また、北国の海辺でも漁師たちがお堂を建てて供養を催したが、
僧たちの話が気に入らない。
ある僧が漁師たちの気持ちを知ってこう話した。
「みなさま方は必ず極楽往生なさいます。なぜなら、念仏は往生の要です。しかも絶えず唱えていれば必ず往生できることは疑う余地はありません。
しかるに、みなさま方はみずから絶えず念仏を唱えられております。
朝な夕なに面々に網を手にして「網、網、」と言われるでしょう、すると波が「ダブ、ダブ」とよせますね。「アミ・ダブ」「アミ・ダブ」です。
これはいつも「阿弥陀仏」と唱えているわけで、まことにめでたいことです。」
漁師たちは喜んで一生分の財宝をお布施した。


と、まあこういう話だ。
ちなみに、漁師たちは魚を捕っているので、日常的に殺生をしていることになり、
自分たちは地獄に堕ちるのではないかとふだんから不安に思っていた、
ということを蛇足だが付け加えておこう。
作者の無住法師はこのあと、「カネ目的なら「邪見の説法」だが、人を救い正しい道に入れるためなら、このデタラメな話も罪はない。」と評す。

中世庶民の信仰のようすや、説法と芸能(話芸)との関連性を感じさせてくれたりして、
それなりに興味深い話だが、まぁ、それはさておき、注目したいのは、
そのクレーム処理の方法発想の転換である。

「漁師さん、あなた達こそ極楽往生できるのです。あなた達の仕事は、殺生ではなく功徳なのです。」と言うわけだ。しかもかなりのこじつけ。「アミダブ」に至ってはダジャレでしかない。
しかし、これこそ物事の根本を見抜いていなければ言えない言葉なのである。
漁師たちはなにを求めていたのか。漁師たち本人も気づいていないが、
彼らは表面的には極楽往生を求めながらも、
実は現世での仕事に関する生き甲斐と安心を求めていたのである。
だからこそ、「信心を深めれば極楽往生できます」では納得しないのだ。
今の仕事が悪いものではなく、それどころかすばらしいことだ、と聞いた瞬間、
この漁師たちは、救われたのだ。(たとえそれがダジャレでしかなくても)
「そうだ、これで、がんばれる。一生お布施を払い続ける必要もない。」
だから、一生分のお布施を払っても惜しくはないのだ。

われわれお小遣いサイトの運営をする者も、発想の転換法や物事の本質を見抜く力を身につけていきたい。
たとえば、「大手サイトは先行有利で、われわれ後発サイトは勝てないよー」と考えるか、
「われわれ後発組は幸せだ。先行サイトというお手本がある。お手本を少し改良すればもっといいサイトをつくれる!」と考えるかでは、同じことでも全く逆のことになる。
物事に挑戦するときにどちらの発想がよい結果をもたらすかは簡単に想像できるだろう。




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